日本プロゴルフ殿堂

偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから

顕彰者紹介

Japan Professional Golf Hall of Fame

レジェンド部門

陳 清波

ちん・せいは

陳 清波

陳 清波

1931(昭和6)年10月1日生まれ

ダウンブローで一世を風靡したジェントルマン

生まれは台湾北部の淡水。16歳から生家そばの淡水GCで働き、その後同GCでプロとなった。1959年に東京GC(埼玉県)所属となって活動の場を日本に移し、同年の日本オープンで初優勝を飾ったのを皮切りに多くのタイトルを獲得していった。また、自身のゴルフ理論をまとめた「近代ゴルフ」(1960年発行)は多くのゴルファーのバイブルとなり、「ダウンブロー」という言葉を日本に浸透させた。ワールドカップに台湾代表として出場すること11回。マスターズには1963年から6年連続で出場し、すべて予選を通過している。最高成績は1963年の15位だった。1978年に帰化。日本名は清水泰行(河口湖CC所属)。

主な戦績

日本オープン1勝
1959年
日本シリーズ1勝
1964年
関東オープン1勝
1962年
関東プロ1勝
1964年
ホワイトベア杯2勝
1960、62年
チャンピオンズ3勝
1964、65、66年
グランドモナーク1勝
1966年
習志野ミリオン1勝
1967年
読売国際オープン1勝
1968年

シニアでの主な戦績

日本プロシニア1勝
1981年
関東プロシニア3勝
1982、83、85年
日本プログランドシニア2勝
1991、93年
関東プログランドシニア3勝
1991、92、93年
日本プロゴールドシニア4勝
1999、2000、01、02年
関東プロゴールドシニア2勝
1999、2000年
日本プロゴールドシニアトーナメント1勝
1999年

第1回-17歳で台湾・淡水GCのプロに。51年、借金をして川奈ホテルGCで日本初修行

第2回-59年再来日。日本オープン初出場初優勝も、翌年は連覇達成⇒失格の真相は

第3回-猛練習で芝がなくなった? 旅行社かゴルフか、選んだゴルフの道で日々努力

第4回-カナダカップ11回、マスターズ6回出場。ベン・ホーガンの練習に腰を抜かした!

第5回-ジョーンズ、ホーガン、ニクラウス…世界の名手との出会い

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