浅見 緑蔵
1908(明治41)年8月20日~
1984(昭和59)年6月19日
- 今なお輝く日本プロ、日本オープン最年少優勝
生家近くにあった東京GC駒沢コース(東京都世田谷区)でキャディーをしながらゴルフを覚えた。27年の第1回日本オープンではアマチュアの赤星六郎に及ばず2位だったが、翌年の第2回大会では19歳9ヶ月の若さで初優勝。
同年11月に開催された日本プロでは20歳3ヶ月で優勝した。
両大会の最年少優勝記録は現在(2013年時点)も浅見が保持している。2年間の兵役から復帰した31年には日本オープン、日本プロ、関東プロと当時の公式競技をすべて制して実力を見せつけた。後に日本プロゴルフ協会設立(57年)に尽力。63年からは同協会の第2代理事長(現在の会長職)を務めてプロゴルフ界の発展に寄与した。
主な戦績
- 日本オープン2勝
- 1928、31年
- 日本プロ2勝
- 1928、31年
- 関東プロ2勝
- 1931、36年
第1回-行儀見習いから始まった父緑蔵のゴルフ
第2回-程ヶ谷移籍で赤星六郎の教えを受ける
第3回-3度の兵役、合間に公式戦優勝
第4回-終戦直前の全身打撲から涙のゴルフ再開
第5回-2度の海外遠征、B・ジョーンズの写真を抱いて寝た
第6回-戦後は進駐軍にレッスン、結核胸部手術で競技を断念
第7回-体にムチ打ってゴルフ場設計の道へ
第8回-程ヶ谷一門はドロー一辺倒