第50回日本オープンゴルフ選手権(1985年) 2024.01.31 1985年10月14日付日刊スポーツ 中嶋常幸が逆転勝ちで日本タイトル5冠、公式戦7冠を達成 大会の舞台となった東名古屋CC(6390m、パー72)は、深いラフ、狭いフェアウエーの厳しいセッティングで選手を迎えた。「ラフに入れたら1打ごめんなさい」という声が漏れるほど、ショットの正確さが勝負になった。 第1日、飛び出したのは青木功だった。ここ数年、故障もあって不振をかこっていた。フェアウエーキープにため「スライスを打つんだという気持ちで必死だった... 詳しく見る
第49回日本オープンゴルフ選手権(1984年) 2024.01.15 優勝トロフィーを掲げる上原宏一(JGAホームページより転載) 空振り2回で鈴木弘一が大魚を逃し、上原宏一に栄冠 時に思ってもみなかったことが起こるのがゴルフである。そんな出来事が続発したのが1984(昭和59)年、埼玉県の嵐山カントリークラブ(6405m、パー72)開催の大会だった。 初日、想定外の裏ルート開拓で競技委員会を慌てさせたのが47歳の杉原輝雄だった。右ドッグレッグの15番パー5、杉原はティーショットを林越えで右隣の14番フェアウエーを狙った。14番を経... 詳しく見る
第48回日本オープンゴルフ選手権(1983年) 2023.12.25 1983年10月3日付日刊スポーツ) 青木功が悲願の日本オープンタイトル 青木功にとって、ついに「その時」が来た。 兵庫・六甲国際GC(6469m、パー72)で行われた大会は、フェアウエーを絞り、ラフはうねるように長くのばされていた。 第1日、このラフで中嶋常幸(当時登録名中島)が最終9番でフェアウエーをわずか2mほど外しただけでロストボールになるトリプルボギーをたたいた。倉本昌弘は最終9番で7番アイアンが根元から折れてヘッ... 詳しく見る
第47回日本オープンゴルフ選手権(1982年) 2023.12.11 ウイニングボールを投げる矢部昭(アサヒゴルフより) 体重50キロの超軽量・矢部昭が5打差の快勝 1982(昭和57)年の日本オープンが行われた10月下旬、男子ツアーは28歳の中嶋(当時の表記は中島)常幸が勝利を積み重ねて初めての賞金王に向けて突き進んでいた。 ただ、10月に入ってからの主役は台湾出身の謝敏男だった。日本オープン前週まで3試合連続で初日から首位を守る完全優勝という驚異的なゴルフでツアーを席巻していた。 日本オープンの会場、埼玉県の武... 詳しく見る