第22回日本オープンゴルフ選手権(1957年) 2022.11.18 1957年9月21日付日刊スポーツ 「那須の神様」小針春芳が中村、林らを退けて初優勝 この年10月、カナダ・カップ(現ワールド・カップ)が日本で初めて開催された。埼玉・霞ケ関CCで行われ、中村寅吉、小野光一がチーム優勝、中村は個人も制した。日本に一大ゴルフブームを巻き起こした年になった。 その1カ月前、9月17~19日、愛知・愛知CC東山コースで日本オープンが開催された、7055ヤード、パー74の設定、プロ77人、アマ17人(プロ73人、... 詳しく見る
第21回日本オープンゴルフ選手権(1956年) 2022.10.31 1956年9月21日付日刊スポーツ 連日のコースレコードで寅さんが8打差圧勝 1956(昭和31)年の日本オープンは国際色豊かな大会となった。フィリピンからセレスティーノ・ツゴット、ベン・アルダの2人、ハワイから3人のプロが参戦したのだ。 日刊スポーツは大会前日の紙面で「外国選手が曲者」と見出しを立て「日本選手には見られない豪快なショットを見せていた」と海外勢が練習でロングドライブを連発する様子を報じている。その一方で慣れない高麗... 詳しく見る
第20回日本オープンゴルフ選手権(1955年) 2022.10.17 1955年9月22日付スポーツニッポン 小野光一が逆転で3度目の日本一 9月19~21日、兵庫県の廣野ゴルフ倶楽部(GC)で開催された。参加は89人(うちアマチュア20人)だった。 第1日、快晴無風のコンディションの中、首位に3人が並んだ。1アンダー71で回った石井廸夫、栗原甲子男、石井茂で、日刊スポーツ紙によると石井廸、栗原は「渡米選手」とあるので、この年に米国遠征をおこなった選手ということだろう。1打差で2位につけたのは... 詳しく見る
第19回日本オープンゴルフ選手権(1954年) 2022.10.03 1954年9月30日付報知新聞 林由郎が4年ぶりの大会2勝目 東京ゴルフ倶楽部は日本で初めて日本人の手によってつくられたゴルフ倶楽部である。最初は東京・駒沢にコースを構えた。その後、朝霞(埼玉県)を経て現在の埼玉県狭山市に移転。1954(昭和29)年、狭山移転後初めてとなる日本オープンが行われた。東京ゴルフ倶楽部としては4回目(駒沢1回、朝霞2回)の日本オープン開催である。 コースは6740ヤード、パー72という設... 詳しく見る