日本のプロゴルフ界に偉大な功績を残し、多くの人々に感動を与えた先人に対して、感謝と敬意を表する
「日本プロゴルフ殿堂」の記念式典です。
式典第十回
第十回日本プロゴルフ殿堂入り式典
プロゴルファー顕彰
日本プロゴルフ殿堂は「第10回日本プロゴルフ殿堂入り顕彰式典」を3月8日、神奈川・パシフィコ横浜で開催している「ジャパンゴルフフェア」会場内で行った。
主に1972年以前に活躍した選手を顕彰する「レジェンド部門」では、井上清次を顕彰。主に1973年以降に活躍したプレーヤーに贈る「プレーヤー部門」では、日蔭温子、倉本昌弘の2人を顕彰した。
顕彰にあたり、あいさつした松井功理事長は「日本プロゴルフ殿堂は14年目を迎え、10回目の顕彰になります」と話して3人それぞれの顕彰理由を紹介。また「今年年末には、殿堂は日本ゴルフ協会(JGA)の傘下に入り、(プロだけではなく)ゴルフに携わってきた多くの方を顕彰するようになります」と明らかにした。
これを受け、来賓のあいさつに立った山中博史JGA専務理事は「JGAはナショナルオープンを開催しており、日蔭さんは日本女子オープンを2回優勝、倉本さんは日本アマ3回、日本学生4回、日本シニアオープンに2回優勝され、井上さんは日本女子オープンに優勝している森口(祐子)さんを育てられた」と、JGAの競技と絡めて顕彰者の功績を紹介。殿堂の今後について「今年中にきちんとした形で発表できるようにしたい」と話した。
井上は神奈川県出身。1952(昭和27)年日本プロに優勝している。1964年開場の岐阜関CCに造成時から携わり、そこで長男・幸一や、森口らを育てた。
式典には幸一が登壇して、顕彰状とトロフィーを松井理事長から受け取った。森口が列席していたこともあり「今日は森口祐子さんのおかげで殿堂入りできて、親父も喜んでいると思います」と笑わせた。父との思い出は「厳しいけど優しい人でもあった」といい「研修生のころに、プロになるならフェードだと親父が言うんで、私はフェードが大嫌いだって言ったら、じゃあ、やめちまえと。謝りに行って何とかやらせてもらった」と話した。森口は「面接試験でドライバーをいきなり打たされて全然当たらず落ちたと思った。そうしたら『本当にプロになりたいのか?樋口を倒せるか?』と言われたので、ハイと答えたんですが、えらいことになったと思った」と、思い出を話した。
日蔭は岩手県出身。20歳の時にプロテストに合格し、1980(昭和55)年のヤクルトミルミルレディースで初優勝。82年から5年間、春先を中心に米国でプレーした。日本女子オープンでは82、92年と2勝を挙げるなど、ツアー通算18勝を挙げている。
樋口久子理事から顕彰状とトロフィーを受け取った。一番印象に残っている試合は「初優勝のヤクルトミルミルで、54ホールで半分ぐらい1パットパーで優勝して記憶に残っています」と話した。また「82年から米国に行って4日間大会を経験して、その年に初めて4日間大会になった日本女子オープンに優勝できた」と振り返った。「ゴルフをやっていて幸せだった」といい、現在は「たまにゴルフはします。ゆっくりと、何か(殿堂で)お役に立てることがあればやりたい」と話した。
倉本は広島県出身。アマで実績を残し、1980(昭和55)年の中四国オープンをアマチュアで制した。81年にプロ入り。82年の全英オープンで記録した4位は今なお同大会の日本選手歴代最高順位として残っている。2003(平成15)年のアコムインターナショナル初日には国内ツアー競技初となる59をマーク。同大会で通算30勝目を手にした。日本プロゴルフ協会(PGA)会長を約9年務めるなどプロゴルフ界の発展に尽力してきた。
松井理事長から顕彰状とトロフィーを受け取り「10歳でゴルフを始め、25歳でプロになって35歳でやめるといっていたのに、こんなに長くやるとは思わなかった。多くの先人の皆さんと殿堂に入れて、うれしく思っています」とあいさつ。日本ゴルフツアー機構(JGTO)の立ち上げにかかわるなど「一番脂がのっていた時にゴルフ一筋とはいかなかった。プレーヤーとしてはやり残したことがいっぱいある。」と振り返った。そして「これからは70歳まであと2年、しっかり現役を続けたい。(永久シードの)レギュラーツアーにもシニアツアーにも出ます。目標は、レギュラーツアーでの最年長予選通過、最年長公式戦予選通過と、試合のたびにエージシュートを出すこと」と、声を弾ませていた。
(文責・赤坂厚)