第45回日本プロゴルフ選手権(1977年)
2015.01.05
日本プロゴルフ協会50年史より
中嶋常幸が22歳で初日本一
ほっそりとしたメガネをかけた青年。中嶋常幸は1976年のプロデビュー当時、それまでのゴルファーとは違った、どこか会社員然としたスタイルで登場した。日本アマなどアマタイトルを総ナメにして、ツアー1年目の76年には3勝を挙げ、この年も既に2勝している。「ジャンボさん(尾崎将司)と同じ、デビュー2年目に日本プロのタイトルを取りたい」と臨んだ大会で、言葉通り22歳でプロの頂点に輝いた。この年、日本ツアーは試合での使用球をラージボールに統一した節目の年でもある。舞台は岐阜の日本ラインGC西コース。6257メートル、パー72と距離は短い難コース。中嶋は初日、1オーバーの51位と出遅れる。首位に立ったのは竹安孝博と謝永郁でコースレコードタイの5アンダー67をマークした。
2日目、33歳の島田幸作がまず会心のゴルフを見せる。10番でいきなり20メートルのパットを沈め、インで11、14、15番とバーディーを取るなど、6アンダー66で上がり、コースレコードを塗り替えた。そのわずか15分後、中嶋がその記録を塗り替える。ショットが好調でグリーンを外したのがわずか2回。最終9番で12メートルを沈めるなどパットも入り、7バーディー、ボギーなしで島田を上回るコースレコード65をたたき出した。通算6アンダーで一気に2位に浮上。竹安が36ホールボギーなしの通算8アンダーで首位を守り、中嶋と同じ2打差2位に島田、草柳良夫ら5人が並んだ。
中嶋は「力まずセーブして打っている。フェアウエーが狭く、ラフが深いといっても今の僕のゴルフなら。勝てる要素は十分ある。息を抜かず、一球入魂でやりたい」とメディア各社にコメントしている。
尾崎はこの大会は全くいいところがなかった「コースが僕に合わなかった」と、通算3オーバーで1打及ばず、プロ入り初の公式戦での予選落ちを喫した。75年に日本タイトル4冠を達成した村上隆も2打足りずに予選落ち。当時のトッププロがそろって姿を消す波乱の大会ともなった。
3日目に入っても中嶋の勢いは衰えない。ボギーなしの67をマークし、通算11アンダーで首位に躍り出た。初日から38ホールボギーなしを続けている。「なんとなくゴルフがいい。といっても僕に65が出たんだから、相手もでる。無心で最終日を乗り切りたい」と、コメントしている。
4打差に謝敏男と竹安。前年覇者の金井清一は7打差9位だったが「俺が10年以上かけてとったタイトルを、2年目の坊やにむざむざ渡せません」と報知新聞は伝えるなど、中嶋の快進撃が各選手を刺激したようだ。
最終日、中嶋はプレッシャーがあったのか、1番からチャンスを外し続ける。6番(471メートル、パー5)で3番アイアンでグリーンエッジまで運び、この日初バーディー。これで落ち着いたのか、15番まで53ホールボギーなしと安定したゴルフを続けた。16番でボギーをたたいたが、そのまま通算11アンダー277で逃げ切り、賞金400万円を獲得した。
杉原輝雄が5バーディー、1ボギーの68を、山本善隆がパー5で5アンダー(1イーグル、3バーディー)を稼ぐなどで67を、それぞれマークして猛追したが、3打差届かず2位だった。また、青木功が6バーディー、ボギーなしの66で回り、4打差4位に急上昇した。若武者中嶋の独走を止めようと、ベテラン、中堅が必死に追いかけた形だ。
「18ホール、全部苦しかった。感無量です」と言葉を吐き出した中嶋。当時の報知新聞が伝えている。「昨夜は自分がピンチに立つことばかり頭に浮かんで全然眠れなかった」と心境も話している。杉原は「大した奴だ。うぬぼれもあるかもしれないが、自信は練習に裏打ちされている」と褒めている。青木も「2日目の65は立派。ツキだけでは出ないことをオレは知っている」と、力を認めている。中嶋は「最終目標は米国での活躍ですが、このタイトルを自信にしたい」と、この時には既に米ツアーを意識していた。
9歳で父巌氏にゴルフを鍛えられ、その練習光景などから「サイボーグ」とも揶揄されたこともあった。18歳で最年少日本アマ覇者となり、プロ入りして2年4カ月でのプロ日本一は、尾崎将司のプロ入り2年5カ月を更新した。22歳11カ月での優勝は、戦後では河野光隆の23歳9カ月を塗り替える記録だった。ゴルファーとしての成り立ちもあって、諸先輩には必ずしも好感を持って迎え入れられてはいなかった当時だったが、その後は翌78年に初出場したマスターズでは13番パー5で13打をたたく予選落ちの屈辱、そして結婚、独立をへて、82年に初の賞金王を取り、誰にも認められるゴルファーになった。その原点がこの優勝だったのだろう。なお、当時の登録名は「中嶋常幸」だった。
プロフィル
中嶋常幸(なかじま・つねゆき)1954~群馬県出身。父・巌氏の英才教育で腕を上げ、1973年に日本アマを当時最年少の18歳で制覇。75年のプロ入り後も順調に勝ち星を重ね、85年には初の年間1億円プレーヤーとなった。通算48勝を挙げ、賞金王は4回。シニアでも日本シニアオープン3勝など活躍し、アマ、レギュラーツアーと合わせて日本タイトル7冠を達成している。
第45回日本プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 中嶋常幸 | 277 | = 73 65 67 72 |
2 T | 山本善隆 杉原輝雄 |
280 | = 69 70 74 67 = 73 71 68 68 |
4 T | 青木功 謝敏男 |
281 | = 71 70 74 66 = 70 69 70 72 |
6 T | 久保四郎 内田繁 鈴木規夫 |
283 | = 72 73 70 68 = 70 69 72 72 = 72 69 70 72 |
9 | 中村通 | 284 | = 73 70 70 71 |
10 T | 浦西武光 金海繁 竹安孝博 |
285 | = 70 72 72 71 = 69 69 72 75 = 67 69 73 76 |