第8回日本女子プロゴルフ選手権(1975年)
2014.07.21
1975年7月15日付日刊スポーツ
無敵の女王を止めた山崎小夜子
日本女子プロは大会が創設された1968(昭和43)年から樋口久子が無敵の快進撃を続けていた。74年まで実に7連覇。迎えた75年の第8回大会も優勝候補の大本命は樋口であった。会場となったのは大阪府のPLカントリークラブ(6325ヤード、パー74)。注目の樋口は初日、1イーグル、2バーディー、4ボギーでイーブンパーの74でホールアウト。清元登子、山崎小夜子、台湾の藩玉華と並んで首位に立った。
しかし、2日目、樋口は不安を抱えていたパッティングが決まらず2バーディー、4ボギーの76とスコアを2つ落として2位タイに後退。ホールアウト後はパッティングを立て直そうと懸命に練習に取り組んだ。
単独首位に立ったのはイーブンパーの74にまとめた山崎小夜子だった。山崎は68年の第2回プロテストで合格した2期生。70年に2期生の優勝一番乗りを果たすと、71、73、74年は樋口に次いで賞金ランキング2位。この大会では“ストップ・ザ・樋口”の一番手とも目されていた存在だった。
雨のち曇りの天候となった最終日、樋口は前半でスコアを落とし、山崎を追うことができない。代わって浮上してきたのが2日目まで6位につけていた大迫たつ子だった。アウトで2アンダーの35をマークして山崎に迫り、インでついに並ぶ。すると、山崎は14番でボギーを叩いて、ついに首位から陥落。大迫が単独首位に立った。
しかし、山崎は15番ですぐさまバーディーを奪い返して並ぶと、大迫が16番で痛恨のボギーを叩いて再び山崎が単独首位へ。この1打差を最後まで守って逃げ切った。
山崎は通算8勝目にして初の公式戦制覇。「一番欲しかったタイトルでした」と喜びを表した。
ついに“女王”の座から降りることになった樋口は「よくここまでやってきたと思います」とコメントした。実はこの時、樋口はパッティングのイップスに悩まされていた。シーズン前半はアメリカでプレーし、後半は日本で戦うというスケジュールを続けているうち、アメリカの速いベントグリーンと日本の遅い高麗グリーンのギャップが原因で徐々に手が動かなくなっていたのだ。
実際この75年はツアーが始まった68年以降、自己ワーストとなる1勝に終わっている。それでも最終的には賞金女王となっているのだから、やはり実力は抜きんでていたのであろう。
連勝が阻止された大会について、樋口は後に「ずっと勝たなきゃいけないと重いものを背負ってプレーしていましたから、負けましたがすっきりとした感覚でした。これでやっと普通の人間に戻れたのではないかと。だから、後には引きずりませんでした。またイチからやればいいのだと」と語っている。
翌76年の日本女子プロ、イップスを克服した樋口は2位に3打差をつけて大会8勝目を飾った。
プロフィル
山崎小夜子(やまざき・さよこ)1947~徳島県出身。1968年に女子プロ2期生となる。初優勝は70年の伊豆スカイライン女子プロ。75年の日本女子プロまで通算8勝を挙げた。71、73、74、75年と樋口久子に次いで賞金ランキング2位に入っている。
第8回日本女子プロゴルフ選手権成績
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 山崎小夜子 | 223 | = 74 74 75 |
2 | 大迫たつ子 | 224 | = 75 77 72 |
3 | 樋口久子 | 226 | = 74 76 76 |
4 T | 清元登子 小林法子 |
227 | = 74 79 74 = 78 76 73 |
6 T | 岩田ひな 桝井芙佐子 |
228 | = 78 73 77 = 77 73 78 |
8 T | 多田三知子 鳥山由紀子 二瓶綾子 藩玉華 |
230 | = 76 80 74 = 75 79 76 = 75 77 78 = 74 76 80 |