第75回日本オープンゴルフ選手権(2010年)
2025.02.10

金庚泰が4打差逆転で史上3人目、日本アマとの2冠を達成
第75回大会は愛知カンツリー倶楽部(7084ヤード、パー71)で行われた。同CCでの開催は1971(昭和46)年以来、39年ぶり3回目である。予選ラウンドでは10代の若きスター2人がツアー競技で初めて同組でプレーした。プロ3年目を迎えた石川遼と大学1年生のアマチュア松山英樹だ。
今大会は過去2年ともに2位、しかも前年はプレーオフ負けとあと一歩でタイトルに届いていない石川はこの年、史上最年少賞金王の称号を引っ提げてリベンジに挑んでいた。松山は前週のアジアアマチュア選手権を制して日本人アマチュア初のマスターズ出場を決めたばかり。多くのギャラリーが2人のプレーに熱視線を送った。
初日は2人とも若さと勢いを全開させる。この年も賞金ランキング1位を走る石川が15番パー4で1オンしてみせれば、松山は続く16番パー3で4番アイアンの1打を数センチにつけるスーパーショット。ともに3アンダーの68で回って首位のハン・リーから3打差4位と好発進した。
2日目、前半のインで石川、松山ともに2アンダーの33をマークして順調だった。だが、アウトで石川が1つスコアを落とす。対して松山は最終9番をボギーとしたが後半も2つスコアを伸ばしてこの日は4アンダーの67。通算7アンダーとしてリー、藤田寛之の首位から2打差の3位に浮上した。石川は通算4アンダーで5打差5位にとどまった。
3日目は、この時点で賞金ランキング2位につける41歳の藤田寛之がショットに苦しみながらも持ち前の粘りのゴルフで70にまとめ、通算10アンダーで単独首位に出る。1打差2位には68をマークした武藤俊憲が浮上した。松山は5バーディー、5ボギーと出入りの激しいゴルフで通算7アンダーのまま。藤田からは3打差の4位という位置で1927(昭和2)年の第1回大会、赤星六郎以来となるアマチュア優勝のチャンスを残した。石川は終盤盛り返してこの日は70。通算5アンダーの6位で54ホールを終えた。
1万人を超えるギャラリーが入った最終日、4打差6位にいた賞金ランキング3位の金庚泰が猛追してきた。アウトを4アンダーで回って優勝戦線に食い込むと、インでも10、13、15番でバーディーを決めて通算13アンダー。上位陣を抜き去ってホールアウトした。
最終組のひとつ前でプレーした松山は18番をバーディーで締めてこの日68をマークするが通算10アンダーの3位まで。それでも日本オープンで3位以内のアマチュアは赤星四郎、六郎兄弟と片山晋呉に続く史上4人目という快挙であった。金と同組だった石川はスコアを2つ落として8位に終わった。
藤田、武藤の最終組が18番パー4に入った時、藤田は金から2打差、武藤は1打差だった。藤田は2打目を乗せられなかったがパーにまとめる。2オンに成功した武藤は決めればプレーオフのバーディーパットに挑む。しかし、ここから4打を費やしてしまった。
大会初制覇を果たした金は赤星六郎、中嶋常幸に次ぐ3人目の日本アマとのダブルタイトルを達成。賞金ランキングでも石川、藤田を抜いて1位に躍り出た。
(文責・宮井善一)
プロフィル
金庚泰(キム・キョンテ)1986(昭和61)年9月2日生まれ、韓国出身。2005、06年と日本アマ連覇を果たし、06年のアジア大会では団体、個人ともに金メダル。アマチュア時代に韓国ツアーで2勝した。06年末にプロ転向し、日本ツアーには08年から参戦。通算14勝を挙げ、2010、15年の2度賞金王に輝いた。
第75回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 金 庚泰 | 271 | = 69 70 68 64 |
2 | 藤田 寛之 | 273 | = 66 67 70 70 |
3T | H・リー @松山 英樹 武藤 俊憲 |
274 | = 65 68 72 69 = 68 67 71 68 = 69 67 68 70 |
6 | 高山 忠洋 | 279 | = 74 69 68 68 |
7 | 松村 道央 | 280 | = 70 71 71 68 |
8T | 薗田 峻輔 C・キャンベル 裵 相文 石川 遼 |
281 | = 72 72 71 66 = 67 72 73 69 = 70 69 72 70 = 68 70 70 73 |
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