第61回日本オープンゴルフ選手権(1996年)
2024.07.08
優勝カップを掲げるP・テラベイネン(JGAホームページより転載)
初出場のテラベイネンが4打差逆転で日本初優勝
前人未踏の通算100勝を日本オープンの大舞台で飾るのか。1996(平成8)年大会は前週のジュンクラシックで99勝目を挙げた尾崎将司に注目が集まっていた。日本オープンでは復活優勝を果たした1988(昭和63)年から前年までの8年間で4勝を含みすべて5位以内と圧倒的な存在感を放っていただけに期待は高まるばかりだった。会場は大阪府の茨木カンツリー倶楽部西コース(7017ヤード、パー71)だった。9月26日の初日、平均ストローク75という高難度のセッティングを尾崎は出場113選手中ただ1人、ボギー1個に抑えて1アンダー、70をマーク。首位C・フランコから2打差の2位グループにつけた。
風が強くなった2日目、尾崎のドライバーショットが荒れた。米国開催のプレジデンツカップを含めてこれが4連戦目。49歳の体には疲労もたまっており、ホールアウト後には体調不良を訴えていた。2バーディー、3ボギーの72で通算イーブンパー。66をマークして首位に立ったF・ミノザから4打差の4位に後退した。
尾崎は3日目も精彩を欠く。バーディーをひとつも奪えず77と崩れて通算6オーバーの24位にまで退いた。
72にまとめたミノザが通算3アンダーで首位を守り、69で回った佐々木久行が2打差2位に浮上。欧州ツアーを主戦場にする初出場のP・テラベイネンが4打差の3位につけた。
最終日は海外勢同士の争いとなった。最終組の前を回るテラベイネンが1番から3連続バーディーを決めれば最終組のミノザも2、5番でバーディーと応戦する。2位にいた佐々木は3、4番をバーディーとするものの5番以降崩れて圏外に去っていった。
スタートダッシュを決めたテラベイネンは5、8番でボギー。ミノザは6番ボギーでアウトはともに1アンダーの34。両者の差は4打のままだった。
インに入ると大きく試合が動く。テラベイネンがバーディーを奪った11、13番でミノザがボギーを叩き、両者が並んだ。14番でミノザがバーディーを決めて再びリード。1973(昭和48)年、同じ茨木CC西Cで勝ったB・アルダ以来2人目となるフィリピン選手の日本オープン制覇が目前だった。
だが、16、17番を連続ボギーとして14番以降はパーを重ねるテラベイネンに逆転を許してしまう。
18番パー5をパーとしたテラベイネンが通算2アンダーで先にホールアウトする。そしてミノザ。プレーオフへの望みをかけたラフからの3打目が池に消えた。その瞬間、テラベイネンの勝利が確定した。
特別推薦枠で出場したテラベイネンは40歳の米国人。母国のツアーで結果を出せず、アジアや欧州などを長く転戦する生活だった。欧州ツアーでは前年初めて優勝。日本では無名の苦労人が初めての日本オープンで、でっかいタイトルをつかみ取った。
尾崎は最終日パープレーの71。通算6オーバーの14位に終わった。
(文責・宮井善一)
プロフィル
ピーター・テラベイネン1956(昭和31)年4月23日生まれ、米国マサチューセッツ州出身。エール大学を経て1979年にプロ転向。翌年は米ツアーに挑戦するが約1000ドルしか稼げず、その後はアジアや欧州、豪州でプレー。1995年のチェコオープンで欧州初優勝を飾った。日本オープン優勝後は日本を主戦場とし、1997年にも1勝している。。
第61回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | Peter Teravainen | 282 | = 71 72 71 68 |
2 | Frankie Minoza | 284 | = 72 66 72 74 |
3T | 手嶋 多一 Peter Senior |
285 | = 74 73 69 69 = 70 76 70 69 |
5T | 尾崎 直道 横尾 要 |
286 | = 72 73 70 71 = 73 73 72 68 |
7T | 倉本 昌弘 佐々木 久行 |
287 | = 73 73 70 71 = 71 72 69 75 |
9T | 谷口 徹 東 聡 |
288 | = 76 72 71 69 = 72 74 70 72 |