第33回日本オープンゴルフ選手権(1968年)
2023.05.15
大会初優勝を飾った河野高明は優勝カップを持ちポーズをとる(河野高明さんのアルバムより)
推薦出場の河野高明が大会初制覇
1968(昭和43)年の日本オープンは海外からの強豪の参戦が話題になっていた。英国のトニー・ジャクリンと豪州のブルース・デブリンである。放映局のTBSが1万ドル(当時のレートで360万円)を出して呼び寄せたもので、デブリンは開幕2日前、ジャクリンに至っては開幕前日に来日するという強行軍だった。会場は千葉県の総武カントリークラブ総武コース(7006ヤード、パー72)。10月2日の初日はデブリンが70、ジャクリンは71でプレーを終えた。
首位に立ったのは河野高明だった。前年の関東オープンで初優勝を飾ったばかりの28歳。日本オープン翌月にイタリアで開催されるカナダカップ代表に選出されていた。
当初、河野は日本オープンの出場権がなかった。8月の大会予選会で落選していたのだ。その後、カナダカップ代表ということが考慮され、推薦出場が認められての参戦だった。
河野は初日5アンダーの67をマークすると、2日目も67で回って通算10アンダー。石井朝夫、鷹巣南雄、新井規矩雄の2位グループに7打差をつけていた。
注目の海外勢はジャクリンが通算2アンダーの5位、デブリンは通算1オーバーの16位で2日目を終えていた。
36ホールの最終日は雨の中で行われた。河野は最初の9ホールを35で回り、後続との差を広げた。だが、インでは38と乱れてしまう。この時点で2位の鷹巣とは5打差だった。
最終ラウンド、河野はボギーを重ね、スコアを崩していく。鷹巣、新井、そしてデブリンが迫ってきた。まず、新井が10番のバーディーで河野を捕えた。しかし、それもつかの間、新井は12番で手痛いダブルボギーを叩いて後退する。
次に並んだのは鷹巣だ。河野が14番をボギーとし、通算4アンダーで2人が並走する形になった。
その鷹巣も続く15番でボギー。またもや河野が単独首位になった。
17番、河野が4mのバーディーパットを決めた。これで2打差。大きなバーディーだった。
最終ホールをボギーとしたが、鷹巣、新井、デブリンの3人を1打差で振り切った。
2日目を終えて7打の大量リードが逆に余計な重圧を生み、守る意識が強くなってショットが乱れた。「苦しかった。雨のせいじゃないですが、全くいいところなし。優勝してもちっともうれしさが沸いてこない」(日刊スポーツより)と胸の内を語った。
総武CCは2年前に弟の光隆が日本プロ連覇を飾った場所である。スポットライトを浴びる弟に刺激された兄は酒量を減らし、食生活を変えて練習に励んだ。その成果が前年からの躍進になって表れた。そして、日本オープンチャンピオンとなった河野はこの後、ワールドカップやマスターズでも活躍し、日本を代表するプレーヤーへと上り詰めていく。
(文責・宮井善一)
プロフィル
河野高明(こうの・たかあき)1940(昭和15)年1月4日生まれ、神奈川県出身。中学卒業後、父親が勤務していた程ヶ谷CCに入り、19歳でプロとなる。実弟の光隆が日本プロ連覇で先に脚光を浴びるが、1967年関東オープンで初優勝を飾ったのを機に急成長。日本オープン1勝、日本シリーズ2勝を挙げたほかマスターズなど海外でも活躍して日本を代表するプレーヤーとなった。2016年度日本プロゴルフ殿堂入り。
第33回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 河野 高明(芙蓉) | 284 | = 67 67 73 77 |
2 T | Bruce Devlin(AUS) 新井 規矩雄(日高) 鷹巣 南雄(関東PGA) |
285 | = 70 75 71 69 = 68 73 73 71 = 68 73 71 73 |
5 | 石井 朝夫(中山) | 289 | = 69 72 76 72 |
6 | Tony Jacklin(UK) | 291 | = 71 71 75 74 |
7 | 陳 清波(関東PGA) | 292 | = 75 72 73 72 |
8 T | 柳田 勝司(小倉) 石井 弘(関西PGA) 佐藤 精一(袖ヶ浦) 水並 清(関西PGA) 橘田 規(関西PGA) 能田 征二(城陽) |
293 | = 74 71 74 74 = 73 71 74 75 = 73 71 76 73 = 72 72 74 75 = 72 70 76 75 = 73 74 72 74 |
参加者数 168名(アマ37名)