第19回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1993年)
2021.07.05
鈴木弘一(右)を下して大会初優勝を飾った山本善隆(週刊アサヒゴルフ1993年9月28日号より)
冷静さを貫き、42歳山本善隆が復活優勝
1993(平成5)年の日本プロマッチプレーは前年のプレステージCCから同じ栃木県の東ノ宮CC(6916ヤード、パー72)に舞台を移しての開催となった。9月2日、秋晴れの下で1回戦16マッチが行われた。前年覇者で青木功と並ぶ大会最多の4勝目を狙う中嶋(当時の登録名は中島)常幸は米ツアーから帰国直後ながら横山明仁を3-2で下して貫録を示した。同じく米国帰りの尾崎直道も高見和宏に3-2と快勝。3年ぶりの優勝へ好スタートを切った。一方で賞金ランキング1位の飯合肇は横島由一に屈して初戦で姿を消した。
2日目は2回戦と準々決勝。この日、躍動したのは40代のベテラン勢だ。43歳で大会2勝の高橋勝成は2回戦で尾崎直相手に2度のチップインを含む5バーディーを奪って5-4の圧勝劇。マッチプレー巧者の実力をまざまざと見せつけた。続く準々決勝では芹沢信雄を3-2で一蹴。優勝した1987(昭和62)年以来、6年ぶりに準決勝に駒を進めた。
42歳の山本善隆も負けてはいない。2回戦では大接戦の末に横島を1アップで下し、準々決勝では重信秀人を18番のバーディーで突き離して2アップで勝利。3年ぶり4度目となる準決勝進出を果たした。
中島は宮瀬博文、川俣茂を破って3年連続の準決勝。相手は奇しくも前年の準決勝と同じ鈴木弘一となった。
大会3日目の準決勝は36ホールマッチの予定だったが台風接近により18ホールに短縮された。米国遠征中に痛めた左ひざの状態が気になる中島にとっては朗報かとも思われたが、結果は逆となった。前年の準決勝で8-7の屈辱を味わった鈴木が奮起。3-2で中島へのリベンジを果たし、初の決勝を決めた。
もう一方の準決勝、高橋VS山本の40代対決は前半山本がリードを奪い、高橋が追いつく熱戦。マッチイーブンから13、15番を奪った山本が2-1で勝利を収め、こちらも初めての決勝へと勝ち進んだ。
台風一過、青空が戻った決勝は22ホール目までマッチイーブンの接戦だった。ゲームが大きく動いたのは23ホール目の5番パー5だ。当時の新聞報道を総合してキーホールを振り返ってみたい。
山本は残り50ヤードほどの3打目をザックリしてバンカーに入れてしまった。芝の薄いライだったようだ。その“ミスショット”を見た観客から「それでもプロかよ」というような声が飛んだ。笑い声があがったという報道もある。それでも山本は何事もなかったかのようにやりすごし、バンカーショットを寄せてパーセーブした。
一方で当事者ではない鈴木が観客の心無い声に過敏に反応し、腹を立てた状態でバーディーパットに向かってしまった。その結果、打ちすぎて大きくオーバー。思わずサンバイザーを叩きつけて悔しがる。返しも外してボギー。流れが山本へと傾いた。
続く23ホール目、さらには25ホール目で山本がバーディーを奪って差を広げる。鈴木の心が乱れていること察知し、冷静にここが勝負どころと畳み掛けた。
結果は3-2で山本の勝利となった。ポーカーフェイスを貫いた山本と感情が表に出てしまった鈴木。心理面で明暗が分かれた形となった。
ここまでツアー12勝の実績を誇り、日本プロや関西オープン、関西プロといったビッグタイトルを手中にしていた山本だったがひざや足首を痛めた影響もあって成績は下降戦をたどり、3年続けて賞金ランキング30位にも入れない状態だった。この年の開幕前はクラブを握らずトレーニングに専念。体をイチから鍛え直した成果が4年ぶりのツアー13勝目に、そして2つ目の日本タイトルにつながった。
(文責・宮井善一)
プロフィル
山本善隆(やまもと・よしたか)1951(昭和26)年1月29日生まれ。大阪府出身。1970年、19歳でプロテストに合格し、72年の瀬戸内海サーキット岡山で初優勝を飾る。74年からは6年連続で賞金ランキング10位以内という安定した成績を残し、中でも75年は2勝を挙げて賞金ランキング自己最高の3位に入っている。73年以降のツアー競技は通算13勝。日本プロ、日本プロマッチプレー各1勝のほか、関西プロ、関西オープンでは各2勝を挙げている。