第17回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1991年)
2021.06.07
初出場で優勝を飾った東聡(週刊アサヒゴルフ1991年6月11月号より)
初陣・東聡が歴代王者を下して殊勲の優勝
1991(平成3)年の日本プロマッチプレーは独創的なデザインで知られるデズモンズ・ミュアヘッドが手がけた新陽カントリー倶楽部(岐阜県、7029ヤード、パー72)で開催された。出場選手は32人。2年前に大会初優勝を飾った尾崎将司の姿はなかったが、御大不在をジャンボ軍団の中堅が見事にカバーした大会となった。5月16日、穏やかな天候の中で1回戦16マッチが行われた。前年覇者・尾崎直道の相手は運命のいたずらか、兄の尾崎健夫だった。本大会では1985(昭和60)年1回戦の尾崎将司VS健夫に次ぐ兄弟対決。その時は健夫が兄を1アップで下している。今回は1番で長いバーディーパットを沈めてリードを奪った直道が2-1で勝利。再び“弟が兄を倒す”という形となった。
翌17日の2回戦、直道の相手は同じジャンボ軍団の東聡だった。この時、直道34歳、東30歳。東は2勝していたとはいえ賞金ランキングは前年の22位が最高位で日本プロマッチプレーは初出場。格では圧倒的に直道が上だった。しかも東はこの年もここまで9試合中4試合で予選落ちと、決して好調ではなかった。
だが、勝負はやってみないと分からない。前日の健夫に続いての”身内”との対戦に「続けざまにやりにくい相手」(週刊アサヒゴルフより)とぼやいた直道はパッティングに苦しみリードされる展開に。東の2アップで迎えた16番パー3で直道のティーショットが池につかまって決着がついた。
東は続いて行われた準々決勝で芹沢信雄を4-3で下してベスト4に進出。ほかに中嶋常幸、加瀬秀樹、渡辺司が勝ち上がった。
36ホールマッチの準決勝の組み合わせは中嶋VS加瀬、東VS渡辺である。前週のフジサンケイクラシックをへんとう腺炎で棄権し、まだ微熱が残る中嶋は毎日のように点滴を打ちながらのプレー。それでも加瀬を8-7の大差で一蹴して貫録を示した。
東はオールスクエアで迎えた30ホール目からバーディーラッシュをかけて3-2で渡辺を撃破。中嶋との決勝に進んだ。
大会3勝目を目指す中嶋と初出場で決勝まで勝ち上がった東。体調面に不安がある中嶋だったが、実績では完全に上である。「中嶋有利は動かないかにみえた」(週刊アサヒゴルフ)というのが一般的な下馬評だった。しかし、やはり勝負はやってみないと分からないものだ。
前半の18ホールは中嶋が1アップとリードして折り返した。だが、通常のトーナメントより多くのホールをプレーしなければならない大会のタフさが完調ではない中嶋の体力を奪ったのか、週刊アサヒゴルフは「午後の18ホール戦になると目立って飛距離が落ちてきた」と中嶋の変調を記している。
一方で東は「中嶋さんと1対1で戦って勝ちたい」という強い気持ちを胸にプレーを続けていた。その気持ちが粘りを生み、逆転劇へとつながったのである。
後半は取って、取られての白熱した戦いとなった。マッチイーブンで迎えた33ホール目の15番パー5、東は残り232ヤードの2打目を3番ウッドで見事に乗せた。そして2パットのバーディー。パーに終わった中嶋からリードを奪った。34、35ホール目はともにパーで東1アップのまま36ホール目の18番パー4を迎えた。9番アイアンで攻めた東の2打目はピンから1mに寄るファインショットとなった。対する中嶋はグリーンを捕えられず、勝負あり。下馬評を覆して初出場の伏兵が初めて日本と名のつくビッグタイトルをつかんだのだ。
「これまでの2勝とは満足感がまるで違う。1つ階段を上った感じ」(週刊アサヒゴルフより)と感激をかみしめる東。ジャンボ軍団が2年前の尾崎将司、前年の尾崎直道に続いて“大会3連覇”を飾った。
プロフィル
東聡(ひがし・さとし)1960年11月16日生まれ。東京都出身。日本大学時代の1982年に日本学生選手権で優勝し、翌1983年にプロテスト合格。日本大学同期の金子柱憲とともにジャンボ軍団に入った。1987年よみうりサッポロビールオープンで初優勝を飾り、通算7勝。1995年には年間4勝を挙げて賞金ランキング2位に入っている。