日本プロゴルフ殿堂

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日本プロゴルフ殿堂入り発表の記者会見

Japan Professional Golf Hall of Fame

1月23日、東京・世界貿易センタービルで第8回顕彰者を発表

日本プロゴルフ殿堂入り発表の記者会見

 第8回日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者発表の記者会見を1月23日、東京・世界貿易センタービルで行った。会見には日本プロゴルフ殿堂の松井功理事長と、副理事長の日本プロゴルフ協会・倉本昌弘会長、日本女子プロゴルフ協会・小林浩美会長、日本ゴルフツアー機構の青木功会長が出席した。表彰ノミネート委員の投票・意見を参考に理事会で決定、松井理事長が顕彰者4人を発表した。

 1972年以前に活躍し、功績を残したプレーヤーに贈る「レジェンド部門」では、謝敏男と中村兼吉の2人を選出した。

松井功理事長
小林浩美副理事長
倉本昌弘副理事長
青木功副理事長

 謝敏男は台湾出身の79歳。多くの名ゴルファーを生んだ淡水(台湾GC)で腕を磨き、アマチュア時代は1964年の世界アマでは個人1 位。翌年プロ転し、日本では68年の関東オープンで初優勝。72 年にはワールドカップで呂良煥と組んで台湾を初優勝に導き、 個人戦でも優勝を果たした。79 年の日本プロで杉原輝雄らをかわして優勝、同大会を台湾出身選手が制したのは義理の父親でもある陳清水(第5回顕彰者) 以来、26年ぶりだった。82 年秋には東海クラシック、ゴルフダイジェストトーナメント、ブリヂスト ンオープンと3週続完全優勝という空前絶後の大記録をつくっている。

 中村兼吉は、戦前のゴルフ草創期に活躍した選手。東京都出身で、生家近くの東京GC駒沢コースで子供のころからキャディーをしていた。17歳の時に安田幸吉(第2回顕彰者)の助手と なってプロへの道を歩み始めた。新設の藤沢CCに移籍し、32 年に同コースでの関東プロで初優勝。33 年に連覇を達成し、日本オ ープンでは2位のラリー・モンテス、陳清水に9打差をつけて圧勝した。35年には宮本留吉、浅見緑蔵らと米国遠征を敢行。6月の全米オープンで日本から参戦した6人中、ただ1人予選を通過、これが海外メジャーにおける日本人選手初の予選通過となった(58位)。 戦後はクラブづくりにも力を注ぐ傍ら、57 年に創設されたPGAでは副理事長として安田初代理事長をサポートして協会の発展に寄与した。

 主に1973年以降に活躍したプレーヤーに贈る「プレーヤー部門」では、岡田美智子、海老原清治の2人を選出した。

 岡田美智子は福島県出身で75歳になった。中学卒業後、地元いわき市の洋裁学校に進むが中退して川崎国際CC(神奈川県)にキャディーとして就職。ゴルフと出合った。猛練習してメキメキ上達。1967 年の第1回の女子プロテストで合格、女子プロゴルファー1期生の一員となった。その後、中村寅吉に師事。75年、十和田国際女子オープンで初優勝した。息の長さは女子ツアーの歴史の中でも出色。95 年の大王製紙エリエールレディスで50歳312日の最年長優勝をマークし、「世界記録」としてギネスブ ックにも承認された。日本女子プロ選手権35年連続出場など公式戦には歴代最多の84試合に出場するなど、レギュラーツアーでは58歳までプレーした。

 海老原清治は千葉県出身の70歳。生家は我孫子市、隣は林由郎(第1回顕彰者)の自宅で、年の近い林の長男と遊びながらゴルフを覚えた。中学校卒業後、我孫子GCに入り、キャディーをしながらプロを目指した。20 歳でプロとなるが、初めてシードを手にしたのは84年で35 歳の遅咲き。85年中日クラウンズで初優勝、レギュラーツアーではこの1勝にとどまったが、その後存在感をみせる。99年欧州シニアツアー予選会で 2 位に入り、2000 年から参戦。02年には3勝をマークして賞金王に上り詰めた。日本人男子選手が海外の主要ツアー、シニアツアーで賞金王となるのは初めてのことだった。現在もシニアのトーナメントで活躍し、17 年からは日本プロゴールドシニアで3連覇中でもある。

 顕彰者4人とのかかわりが深い副会長3人が、それぞれの思い出を披露した。

 青木副理事長と海老原は同じ我孫子の7年先輩後輩。「義理堅い、言葉は私に似て悪いけど人の面倒見がいい」と人柄を話し「(殿堂顕彰を受けて)うれしくてしょうがないと思うよ」と心境を察した。思い出に残るのは米チャンピオンズツアーに一緒に行った際に「清治が『あんちゃん、米国がだめだよ。人も、国も、スコアも大きくて』と言って、自分に合わないから欧州にいった。転がして覚えたゴルフで小細工が利いたんだろう」と、欧州シニアツアー賞金王のきっかけを披露した。また、中村については「カネ・ナカムラのクラブを見たかな。(中村は)フックグリップだったんで、右向いたクラブで当たるのかなと思った。でも、クラブはそうして作るということを知って、自分もクラブを作ったり直すことを覚えました」と話した。

 小林副理事長は福島県いわき市出身の同郷の先輩、岡田について「努力、おしゃれ、元気いっぱい」と表現。「こんなに息の長い選手はもう出ないかもしれません。ホテルの周りをガンガン走っていました。1期生は元気な人が多いがその代表。いい先輩が今の女子ゴルフの土台を作ってくださり、こういう人が我々の目標になる人」と話した。

 倉本副理事長は、現役時代に対戦した謝との思い出を語った。「全英オープンで4位になった年の日本プロで、謝さんに勝ってタイトルを取れた。一緒に試合をして、すごさを感じた選手でした」と振り返り「私も3週連続優勝のチャンスがあったのですが3週目は指の故障でだめだった。3週連続優勝は精神的にも体力的にも大変なことで価値あることです」と話した。また、PGA会長として、台湾シニアPGA会長だった謝とともに、日本と台湾の共催でシニアツアーのトーナメントを作り(富邦仰德シニア盃)「台湾と日本おゴルフ交流が今も続いている」と貢献を評した。

会見では顕彰者から寄せられた喜びのコメントも披露された。

謝敏男のコメント

 「殿堂入り」なんて思いもしなかったことで、うれしいの一言です。私が台湾を離れて活躍の場を日本に求めたのは、日本はゴルフの先進国であり、台湾のゴルフは日本に育てられてきたからで、活躍の場は日本以外にないと思えたからです。 日本の統治時代のことですが、首都台北に台湾では初めてのゴルフ場を建設したの は日本のゴルフ界です。台湾の多くの先輩たちは学び、活躍の場を与えられています。 私も先輩たちが敷いてくださった路線を歩いたに過ぎませんが、活動の場を与えて くださった日本のゴルフ界を始め、ご支援くださった日本のゴルファーの皆様に「ありがとうございます」と申し上げる以外に言葉が見当たりません。感謝の気持ちを忘れずに、ゴルフを通じて日台両国のゴルフ交流のお役に立ちたいと痛感しております。

中村兼吉 長男中村柳太郎氏のコメント

 父中村兼吉の殿堂入りの連絡をいただき、ありがとうございます。昔のことを 思い出すきっかけとなりましたが、私自身が20歳で家を出て独立し、27歳の時に突然父が亡くなったので、父との思い出は多くないかもしれません。 子供のころ、父に連れられて、多摩川べりのゴルフ練習場に行ったことがあります。父からはアプローチとパッティングを教わったのですが、父の場合カットに入れてグリーンで止まる球を打つ方法でした。多分当時日本は砲台グリーンが多いので、グリーンの上で止まる球を打つ必要があったのではないかと思います。20歳で家を出た後22歳ぐらいの時に父の行きつけのお店に誘われたことがあります。普段からゴルフの話をあまりしなかった父ですが、1935(昭和10)年に初めてアメリカに行った日本人6人のうち、父が一人だけ全米オープンの予選を通過し、 58位タイになったことをとてもうれしそうに話していたことを思い出しました。昭和10年にアメリカに行った日本人6人のうち5人の方はすでに殿堂入りされています。このたび父のことを思い出していただき、殿堂入りさせてくださった皆様に心から感謝申し上げます。

岡田美智子のコメント

 今回の殿堂入りのお話をいただき、身に余る光栄なことと喜んでいます。今、レジェンドに挑戦を続けていることが評価していただいた物と思っております。アスリートの価値はいかに成績を上げるかが大事ですが、選手生命が長いことも大きな勲章だといつも主人がアドバイスしてくれました。私のゴルフには中村寅吉プロとの出逢い、そして今まで私のスポンサーになっていただいた大勢の皆様に感謝の気持ちで いっぱいです。プロになった当時から50年以上ファンクラブの皆様に応援していただいた事も大いに支えになりました。今後出来るだけ長く生涯スポーツとしてのゴルフの普及拡大の一助となれるように 努めたいと思っています。

海老原清治のコメント

 殿堂入りの知らせをいただいた瞬間は、とても大きな感動とともに身に余る光栄と心が震えました。1999 年に欧州シニアツアーに参戦するにあたり、それまでのレギュラーツアーでは中日クラウンズのたった一勝しか出来なかったので不安ばかりの船出でしたが、孤軍奮闘の環境下、優勝出来た事や賞金王になれた事は得難い体験だったと思っています。ツアーに参戦した間、幸運だったのは我孫子GCの会員で三井物産の佐藤勲氏から強力なご支援をいただけた事です。私が滞在先に着く度に、その地の駐在の方が日本語で「何かあったらいつでもこちらに」と携帯番号等をFAXしてくださいました。そのおかげで心から安心して試合に臨むことが出来ました。 家内の一言も忘れることが出来ません。悪戦苦闘の連続で自信を失いかけ、ツアー撤 退かと落ち込んでいた矢先、パリでの試合中に「日本男子なら男らしく頑張れ」と激励 され、この言葉をきっかけに、欧州ツアーでなんとか成績を残すことができました。私を育ててくれたホームコース(我孫子GC) の方々、多くの先輩方、そしてゴルフに携わっている全ての方に感謝申し上げます。今後も微力ではありますが、ゴルフ界のお役に立てるよう尽力いたします。

(敬称略)

4人を顕彰する「第8回日本プロゴルフ殿堂入り式典」を3月19日午後3時30分から、神奈川・パシフィコ横浜で行われる「ジャパンゴルフフェア」会場の特設ステージで、一般公開セレモニーとして開催する予定。