2月8日、東京・世界貿易センタービルで第5回顕彰者を発表
日本プロゴルフ殿堂入り発表の記者会見を2月8日、東京・世界貿易センタービルで行い、第5回顕彰者を発表した。会見には日本プロゴルフ殿堂の松井功理事長と、副理事長の日本プロゴルフ協会・倉本昌弘会長、日本女子プロゴルフ協会・小林浩美会長らが出席した。
松井理事長が今回の顕彰者6人を発表。1972年以前に活躍し、功績を残したプレーヤーに贈る「レジェンド部門」では3人を選出。戦前に台湾から来日し日本プロ2勝、日本オープン1勝などを挙げた台湾プロゴルフ界のパイオニアでもある陳清水(故人)。日本オープン1勝、日本シリーズ2勝などのほか米マスターズで当時日本人最高成績(1969年13位、70年12位)を収めるなど160センチの小柄な体から「リトル・コーノ」の愛称で知られる河野高明(故人)。トップアマで活躍し、1973年トヨトミレディスで女子ツアー史上初のアマチュア優勝を果たし、日本女子プロゴルフ協会理事長、会長も務めた清元登子が選ばれた。主に1973年以降に活躍したプレーヤーに贈る「プレーヤー部門」では、日本プロ、日本オープン、関西プロ、関西オープンを制するなど12勝を挙げ、1999年には日本ゴルフツアー機構(JGTO)の初代会長を務めた島田幸作(故人)、1975年に空前絶後の同一年日本タイトル4冠など国内21勝、海外1勝を挙げた村上隆、女子ツアー歴代2位の賞金女王7度、日本で69勝を挙げた涂阿玉(台湾)の3人を選出した。
- 松井功理事長
- 倉本昌弘副理事長
- 小林浩美副理事長
- 評議員 佐々木孝悦
会見では顕彰者から寄せられた喜びのコメントも披露された。村上は「年間グランドスラムを取った1975年が一番印象深い年。最後の日本シリーズはプレッシャーを感じて迎えた記憶があります。それまで2位が多く『万年2位』などとささやかれたこともありましたが、最初の日本プロマッチプレーに勝って自信がついた。殿堂入りは大変名誉なことでうれしい」としている。涂は「1981年から日本を主戦場として戦ってまいりました。うれしい思いもたくさん経験されていただきました。92年から股関節痛に悩まされ、苦しい日々も経験しました。9年ぶり(2002年再春館レディース)に優勝できた時は夢のようでした。殿堂入りの栄誉は心よりうれしく思い、支えてくださった皆さんに感謝したい」と、振り返った。
また、故人に対してもゆかりのある人からのメッセージも寄せられ、第3回殿堂入りで陳清水との関係が深い陳清波は「恩人の1人。初めて日本に来た時(1954、55年)に清水さんの元で修行しました。グリップをスクエアに直してもらい、私のゴルフ人生の大きな財産になりました。今の台湾のプロはどこかでみんな清水さんにつながっています」と述懐した。また、河野高明の実弟で1965、66年の日本プロを連覇している河野光隆は「生きて受けられたらもっとよかった。私が先に優勝した時に『お前が勝てるならおれも勝てる』と話していた。とても気持ちが強い兄でした」と、コメントを寄せた。